2012年02月28日
OTを落とす 2月26日 千葉ジェッツ戦
バスケットボールって、劇的なことがおこりますね。
かなり昔、オリンピックのバスケで残り2秒かなんかで、逆転したって試合を観た記憶がありますが、レイクスも、キングスにそんな負け方をしたのを思い出しました。
瞬時に勝利を呼び込んだり、逃したり。
滋賀レイクスターズ 100-101(OT) 千葉ジェッツ
1Q 31-21
2Q 16-26
3Q 23-29
4Q 20-14
OT 10-11
大味な試合でしたね。
終わってへとへとでした。
1Qの10点の貯金は2Q始まって4分足らずに使い果たした。
同点で始まった3Qは一度も点差で上回る事なく6点差で4Qへ。
その4Qも、なかなか点差が縮まらず、残り2分半で9点差。
ここから#0レイ・ニクソン選手が
3P、ダンク、フリースローと7点入れて82-85
さらに残り41秒に同点の3P
そして、残り14秒で勝ち越しの3Pで90-87
もう舞い上がってしまって。
2分半で13点のレイがMVPで球団創設100勝目!
あと4.7秒!とか浮かれた3秒後に
オーバータイムもリードして、勝てると思った土壇場でひっくり返されて、10-11で痛い敗戦。
終わって、脱力感。
2シーズン前の神戸でのプレーオフや、今月初めのエヴェッサ戦の時など、これまで感じた脱力感とはちょっと違ってました。
観戦してた方は、いろんなことを思ったでしょう。
チームに思い入れの強い人、初めて観戦した人、バスケのことをよーく判ってる人、ルールもよく判ってない人。
自分は、悔しいというよりも、絶景に大興奮して、もっといい景色が見えると走って登った山の上は曇ってて視界ゼロだったような?
4Qに追い上げた時以外の内容はあまり良くなかったんでしょうね。
そこからいくと、終盤の競った展開はおまけだ!という方もいらしゃるでしょう。
でも、自分はこの試合で、仕事や日常すべてを完全に、もうすっかり忘れて熱くなれました。
仕事場との往復しかない毎日の中で、感動を覚える感性が鈍ってきたこの年になって、こんな思いをさせてもらうこと、ほかにないですから。
とはいえ、有明はもちろん、プレーオフのホーム開催も厳しくなってきました。
選手やコーチは、当たり前ながら、勝にこだわってもらわないと。
結果を出せない選手は来季の契約もないでしょう。
どう観るかは、個人の考え次第、でも、力いっぱい、レイクスを応援することには変わりありません。
2011年07月30日
210cmの女子バスケ選手 セミノワ
前回のブログ忍者ディフェンスとマッハ攻撃、訪問された方は少なかったんですが、「ツイート」や「いいね」を頂きました。
オールドファンには懐かしかったんでしょうかね(笑)

これ、ソ連のセミノワ選手を相手に忍者ディフェンスを繰り広げる日本女子チームではないでしょうか?
まったく届かない…。ちょっと絶望的な感じ
凄い身長差ですよね。
京都新聞の夕刊に、過去のその日にあったことを取り上げるコーナーがあります。
好きな記事で、毎日楽しみにしてるんですが、7月27日に、モントリオール五輪女子バスケの記事が写真入りで出ていました。

「1976(昭和51)年7月27日、女子バスケットボールが正式種目となったモントリオール五輪の決勝リーグ、日本対ソ連戦。2メートル10センチの巨人、ウリャナ・セミョーノワの前で小さく見えるのは山本幸代。75―98で日本は敗れ5位。ソ連が金メダルに輝いた。」
セミノワ選手の動画と、静止画のスライドショーです。
ちなみに、ネットでこのモントリール五輪女子バスケのことがかなり詳しく書かれた「ねこなべ」さんという方のブログを見つけました。
名勝負数え歌Vol.3 「忍者ディフェンス③」
http://blog.goo.ne.jp/nekonabe48/e/391387b811efa757e21122ac2b82578b
名勝負数え歌Vol.4 「忍者ディフェンス④」
http://blog.goo.ne.jp/nekonabe48/e/981bb06edf5da6dffb36a7e3780ad290
思わず引き込まれて読みました。
ちなみに、この名勝負数え歌の
Vol.1は1974年に優勝したアジア大会、
Vol.2は1975年に銀メダルを取った世界選手権のお話でした。
オールドファンには懐かしかったんでしょうかね(笑)
これ、ソ連のセミノワ選手を相手に忍者ディフェンスを繰り広げる日本女子チームではないでしょうか?
まったく届かない…。ちょっと絶望的な感じ

凄い身長差ですよね。
京都新聞の夕刊に、過去のその日にあったことを取り上げるコーナーがあります。
好きな記事で、毎日楽しみにしてるんですが、7月27日に、モントリオール五輪女子バスケの記事が写真入りで出ていました。

「1976(昭和51)年7月27日、女子バスケットボールが正式種目となったモントリオール五輪の決勝リーグ、日本対ソ連戦。2メートル10センチの巨人、ウリャナ・セミョーノワの前で小さく見えるのは山本幸代。75―98で日本は敗れ5位。ソ連が金メダルに輝いた。」
セミノワ選手の動画と、静止画のスライドショーです。
ちなみに、ネットでこのモントリール五輪女子バスケのことがかなり詳しく書かれた「ねこなべ」さんという方のブログを見つけました。
名勝負数え歌Vol.3 「忍者ディフェンス③」
http://blog.goo.ne.jp/nekonabe48/e/391387b811efa757e21122ac2b82578b
名勝負数え歌Vol.4 「忍者ディフェンス④」
http://blog.goo.ne.jp/nekonabe48/e/981bb06edf5da6dffb36a7e3780ad290
思わず引き込まれて読みました。
ちなみに、この名勝負数え歌の
Vol.1は1974年に優勝したアジア大会、
Vol.2は1975年に銀メダルを取った世界選手権のお話でした。
2011年07月21日
忍者ディフェンスとマッハ攻撃
サッカー日本女子、ワールドカップ優勝は本当にお見事でしたね。
これまでの日本女子球技での活躍と言えば、記憶に新しいのがソフトボールでの2008年北京五輪金メダル、古くは東洋の魔女と言われたバレーボール女子の1964年東京五輪、1976年モントリオール五輪での金メダルを思い出します。
では、女子バスケが世界選手権で2位をとったことを御存知ですか?
1975年の女子バスケットボール世界選手権で、日本はソ連には負けましたが見事2位になり、生井(なまい)けい子選手が127得点(5試合)を挙げて今回のサッカーの澤選手同様MVPを受賞したそうです。
この世界選手権の成績でモントリオール五輪出場が決定したんだそうです。
モントリール五輪開催期間中は、毎日国鉄の駅に夕刊を買いに行き、隅から隅まで読んでいたので記憶に残っています。(当時、家には夕刊の配達はありませんでしたので
)
前年の世界選手権での2位、しかも当時、ソ連にはセメノワという210cmの有名な選手に対し、160cmそこそこの生井選手の活躍を期待して、マスコミの下馬評は高く、テレビでもたくさんの試合を観た記憶があります。女子バスケが五輪の種目になったのは、この大会が初めてでしたしね。
恐らく、自分が体育の授業や球技大会以外でバスケの試合を観たのはこの五輪がはじめてだったと思います。
世界選手権とほぼ同じメンバーで挑んだ結果は、優勝候補の米国、カナダに連勝してメダルを期待されたものの、その後の3連敗で6カ国中5位の成績に終わりました。
しかし、生井選手は5試合で102点を挙げて得点王を獲得しました。おさげ髪の生井選手、コートの中をちょこまかと走り回って、得点してたシーンをはっきりと覚えています。
日本の女子バスケは、「忍者ディフェンス」、「マッハ攻撃」という、今なら笑ってしまうようなキャッチフレーズがつけられていたようです。
この五輪のあと、女子バスケは勝てない時代に突入し、五輪の舞台に戻ったのは20年後の1996年のアトランタでした。
あの中村和雄さんがHCを務められたのは、その間の勝てない時代です。色々ご苦労があったことと思います。
これまでの日本女子球技での活躍と言えば、記憶に新しいのがソフトボールでの2008年北京五輪金メダル、古くは東洋の魔女と言われたバレーボール女子の1964年東京五輪、1976年モントリオール五輪での金メダルを思い出します。
では、女子バスケが世界選手権で2位をとったことを御存知ですか?
1975年の女子バスケットボール世界選手権で、日本はソ連には負けましたが見事2位になり、生井(なまい)けい子選手が127得点(5試合)を挙げて今回のサッカーの澤選手同様MVPを受賞したそうです。
この世界選手権の成績でモントリオール五輪出場が決定したんだそうです。
モントリール五輪開催期間中は、毎日国鉄の駅に夕刊を買いに行き、隅から隅まで読んでいたので記憶に残っています。(当時、家には夕刊の配達はありませんでしたので

前年の世界選手権での2位、しかも当時、ソ連にはセメノワという210cmの有名な選手に対し、160cmそこそこの生井選手の活躍を期待して、マスコミの下馬評は高く、テレビでもたくさんの試合を観た記憶があります。女子バスケが五輪の種目になったのは、この大会が初めてでしたしね。
恐らく、自分が体育の授業や球技大会以外でバスケの試合を観たのはこの五輪がはじめてだったと思います。
世界選手権とほぼ同じメンバーで挑んだ結果は、優勝候補の米国、カナダに連勝してメダルを期待されたものの、その後の3連敗で6カ国中5位の成績に終わりました。
しかし、生井選手は5試合で102点を挙げて得点王を獲得しました。おさげ髪の生井選手、コートの中をちょこまかと走り回って、得点してたシーンをはっきりと覚えています。

日本の女子バスケは、「忍者ディフェンス」、「マッハ攻撃」という、今なら笑ってしまうようなキャッチフレーズがつけられていたようです。
この五輪のあと、女子バスケは勝てない時代に突入し、五輪の舞台に戻ったのは20年後の1996年のアトランタでした。
あの中村和雄さんがHCを務められたのは、その間の勝てない時代です。色々ご苦労があったことと思います。
2011年06月18日
北海道バスケットボールクラブ
昨年10月に仕事で札幌に来た時に、地下鉄でJBLに所属していたレラカムイ北海道のポスターをみかけたことから記事にしました。
その時(昨年10月)のことです。
大通にあるデパート、丸井今井の南館5Fに行くと、北海道日本ハムファイターズと、コンサドーレ札幌のグッズ売り場がありました。
(ファイターズの写真は今回のものです)
北海道のプロスポーツのグッズなら、レラカムイのグッズはないのか?と探すと…ありました。
ほんの、少し。コンビニのおにぎり売り場程度の広さでしたけどね。
そこで買ったのがこのステッカーとマグネットです。
yの先端が北海道の地図

(レラカムイグッズ、新千歳空港でも見かけました。)
その丸井今井南館のB2から4Fまでジュンク堂が入ってるんですが、スポーツのコーナーにこんなものが並んでました!
レラカムイ北海道オフィシャルガイドブックです!
しかし、よく見ると、2009-2010シーズン

すでにこの時、2010-2011シーズンが始まっているのに

それから8カ月たった今回の札幌出張までの間に、レラカムイはえらいことになってしまって

レラカムイを運営している会社がこけてしまったんです。
細かいことに触れませんが、チームは、北海道バスケットボールクラブと名前を変えて、存続ギリギリのところで頑張っています。
折茂武彦41歳。
2007年に創設されたレラカムイ北海道にトヨタから移籍。
島根のジェリコHCが日本代表を率いていた時に、代表にいたベテランです。
今年から、自らが球団の運営会社を設立して選手兼オーナーにならはったんです
資金繰りに奔走されて、来シーズンも条件付きながらJBLになんとか踏みとどまれる。
そんな状態なんです。
丸井今井に行ってみましたが、レラカムイグッズ売り場はなくなってました。
ただ、ジュンク堂に行くと、まだ残っていました、2冊だけ。
並んでるのが、ある意味不思議だったですね。
2シーズン前のガイドブックですよ。
しかも、すでに名前がなくなった球団です。
判ってて置いてあるのか、
置き去りにされてるだけなのか…
半分、発作的に買ってしまいました。
同じコーナーにあったこの本と一緒にね。
2010年12月31日
みなさん、ありがとうございました。
今年もあと少しで終わろうとしています。
今年の柔道稽古納めは25日でした。
自分の稽古はなく、小学生の指導だけでしたが、道着を着ると心は落ち着きます。
この日の畳は最高に冷たく、出席者も少なかった、熱心に最後まで見学された保護者の方もたくさんおられました。


最後は昇級審査を兼ねる練習試合。
初心者が先生を大外刈で投げる瞬間。

普段、練習でかからない背負い投げで、一回り大きい相手を投げたG君に、胸が熱くなりました。
来年、頑張ろうな。
帰ってすぐにバスケへ向いました。この日は練習時間が3時間!
普段体を使わないし、なんせ小生はピアス元HCと同級生のおっちゃんです。
なかなかきつい


でも、楽しかった。
バスケしてる誰もが笑顔。
マジ顔になった時はしんどくなった時、って判りやすっ!
銭湯で汗を流して、夜はバスケ仲間との忘年会でした。
2009-2010の昨シーズン、レイクスの試合、数えなおすと24試合観戦しました。
でも誰と親しくなることもなく、シーズンが終わりました。
そして今シーズン、ちょっとしたことから、オフシーズンより色んな方達と交流が始まりました。
まさか、柔道バカの自分が実際にバスケをすることになるとは予想もしませんでした。
やってみると、予想以上に楽しい!
それにブログを立ち上げるなんて、想像もしなかったです。
レイクス関係のブログで、ツイッターで、人の輪が広がっていく事を実感しています。
仕事以外の人との交流が、楽しくて仕方ないです。
知り合いになるはずもない人達と、数ヵ月前に、クリスマスの夜に忘年会をするまでになったってことは、自分の中では、ほとんど奇跡です。
そして、平日は家での滞在が4,5時間の上に、土日まで一人勝手にゲーム観戦やバスケ練習に行く身勝手な自分を許してくれている家族にも心から感謝です。
レイクスは単に応援しているだけの存在、好きなチームにとどまらない、輪の中心です。
もっともっと、輪が大きくなるといいな。
みなさん、来年もよろしくお願いします。
今年の柔道稽古納めは25日でした。
自分の稽古はなく、小学生の指導だけでしたが、道着を着ると心は落ち着きます。
この日の畳は最高に冷たく、出席者も少なかった、熱心に最後まで見学された保護者の方もたくさんおられました。
最後は昇級審査を兼ねる練習試合。
初心者が先生を大外刈で投げる瞬間。
普段、練習でかからない背負い投げで、一回り大きい相手を投げたG君に、胸が熱くなりました。
来年、頑張ろうな。
帰ってすぐにバスケへ向いました。この日は練習時間が3時間!
普段体を使わないし、なんせ小生はピアス元HCと同級生のおっちゃんです。
なかなかきつい

でも、楽しかった。
バスケしてる誰もが笑顔。
マジ顔になった時はしんどくなった時、って判りやすっ!
銭湯で汗を流して、夜はバスケ仲間との忘年会でした。
2009-2010の昨シーズン、レイクスの試合、数えなおすと24試合観戦しました。
でも誰と親しくなることもなく、シーズンが終わりました。
そして今シーズン、ちょっとしたことから、オフシーズンより色んな方達と交流が始まりました。
まさか、柔道バカの自分が実際にバスケをすることになるとは予想もしませんでした。
やってみると、予想以上に楽しい!
それにブログを立ち上げるなんて、想像もしなかったです。
レイクス関係のブログで、ツイッターで、人の輪が広がっていく事を実感しています。
仕事以外の人との交流が、楽しくて仕方ないです。
知り合いになるはずもない人達と、数ヵ月前に、クリスマスの夜に忘年会をするまでになったってことは、自分の中では、ほとんど奇跡です。
そして、平日は家での滞在が4,5時間の上に、土日まで一人勝手にゲーム観戦やバスケ練習に行く身勝手な自分を許してくれている家族にも心から感謝です。
レイクスは単に応援しているだけの存在、好きなチームにとどまらない、輪の中心です。
もっともっと、輪が大きくなるといいな。
みなさん、来年もよろしくお願いします。