2011年01月18日
特別な日
ハンナリーズとの試合の記事をアップするつもりでしたが、日が変わると、気持ちが変わりました。
今日は1月17日です。
実は僕の誕生日なんですが、16年前の平成7年のこの日に、阪神大震災がおきたんです。
あの震災、色んな思いが入り混じって、この日を特別な日として記憶しています。
そう、自分の誕生日というより、震災の日として。
当時、大津に住んでましたが、5時46分に地震は起こりました。
本棚が傾いて、本がドサドサと落ちてきたけど、体には当たらなかったし、そのまま二度寝。
事態に気づいたのは、職場で通りかかったテレビで報じられた信じられない光景。
ヘリから見た、倒壊している阪神高速の様子でした。
母の実家が地震の被害がきつかった須磨にあります。
母が電話したら、伯母が出てとりあえず、家は残っているとのこと。
数日後、神戸では手に入らない屋根にかけるビニールシートを購入して須磨に行きました。
近づくにつれ、赤ん坊の頃から見てきた近所の様子が、
「ここも」
「ここもか!」
「あっ、ここも…。」
家として形が残っていない家。
住人が亡くなったことを知らせる張り紙をした電信棒。
着く前から、早くも心はズタズダでした。
そして、幼い頃から休みのたびに、来るのが楽しみだった、おじいちゃんとおばあちゃんが住んでた家は…。
傾いて、壁は落ち、柱はずれてる。
でも、形は残っている!
屋根に上がり、従兄弟とシートを張りました。
空は灰色で冷たい雨が降ってきました。
本当に冷たい雨だった。
ずーっと、救急車のサイレンが色んな方角から鳴りっぱなし。
この雨は神戸が泣いてる、そんな風に感じました。
丁度、その年の正月に、大好きだったおばあちゃんが亡くなったとこでした。
おばあちゃんが亡くなり…
思い出が一杯のこの家もこんなことに…
大好きな神戸の街が…
ボロボロ涙がこぼれてきました。
おばあちゃんも、この家も、神戸もいっぺんに失ったように感じました。
後で判ったんですが、おばあちゃんが入院してた長田区の病院は全壊したんです。
考えようによっては、おばあちゃんは、最後まで、僕らのことを思ってくれてたのかな?なんて
この本、パソコン通信ってご存知ですか?

今はネットに携帯の時代ですが、ほんの16年前は、こんな震災の後、情報が行き届かず大変だったんですよ。
帰って、この日、見てきた神戸の様子を、当時やっていたニフティサーブにアップしました。
ニフティに寄せられたコメントを集めたのがこの本です。
僕がアップしたのは、感情を抑えたレポートです。


それと、ラジオは電池で動くので、活躍しましたね。
この本は、震災時から毎日放送ラジオが報じた一字一句を書き記した本で、何が報道されたか貴重な資料だと思っています。

この震災の記憶を風化させまいと、テレビの震災関係の番組は可能な限りビデオに録画し、本も買えるだけ買いました。

この日が来る度に、あの屋根で感じた心の動揺を思い出さずにはおれません。
あーっ、日付が変わってしもた!
……。
ワラとラウーフ…。
どうでもいいやっ。
誰も命を落とさないし、家も無くさない。
って今日は思ってます(笑)
ハンナリーズ戦は、また後に。
今日は1月17日です。
実は僕の誕生日なんですが、16年前の平成7年のこの日に、阪神大震災がおきたんです。
あの震災、色んな思いが入り混じって、この日を特別な日として記憶しています。
そう、自分の誕生日というより、震災の日として。
当時、大津に住んでましたが、5時46分に地震は起こりました。
本棚が傾いて、本がドサドサと落ちてきたけど、体には当たらなかったし、そのまま二度寝。
事態に気づいたのは、職場で通りかかったテレビで報じられた信じられない光景。
ヘリから見た、倒壊している阪神高速の様子でした。
母の実家が地震の被害がきつかった須磨にあります。
母が電話したら、伯母が出てとりあえず、家は残っているとのこと。
数日後、神戸では手に入らない屋根にかけるビニールシートを購入して須磨に行きました。
近づくにつれ、赤ん坊の頃から見てきた近所の様子が、
「ここも」
「ここもか!」
「あっ、ここも…。」
家として形が残っていない家。
住人が亡くなったことを知らせる張り紙をした電信棒。
着く前から、早くも心はズタズダでした。
そして、幼い頃から休みのたびに、来るのが楽しみだった、おじいちゃんとおばあちゃんが住んでた家は…。
傾いて、壁は落ち、柱はずれてる。
でも、形は残っている!
屋根に上がり、従兄弟とシートを張りました。
空は灰色で冷たい雨が降ってきました。
本当に冷たい雨だった。
ずーっと、救急車のサイレンが色んな方角から鳴りっぱなし。
この雨は神戸が泣いてる、そんな風に感じました。
丁度、その年の正月に、大好きだったおばあちゃんが亡くなったとこでした。
おばあちゃんが亡くなり…
思い出が一杯のこの家もこんなことに…
大好きな神戸の街が…
ボロボロ涙がこぼれてきました。
おばあちゃんも、この家も、神戸もいっぺんに失ったように感じました。
後で判ったんですが、おばあちゃんが入院してた長田区の病院は全壊したんです。
考えようによっては、おばあちゃんは、最後まで、僕らのことを思ってくれてたのかな?なんて
この本、パソコン通信ってご存知ですか?
今はネットに携帯の時代ですが、ほんの16年前は、こんな震災の後、情報が行き届かず大変だったんですよ。
帰って、この日、見てきた神戸の様子を、当時やっていたニフティサーブにアップしました。
ニフティに寄せられたコメントを集めたのがこの本です。
僕がアップしたのは、感情を抑えたレポートです。
それと、ラジオは電池で動くので、活躍しましたね。
この本は、震災時から毎日放送ラジオが報じた一字一句を書き記した本で、何が報道されたか貴重な資料だと思っています。
この震災の記憶を風化させまいと、テレビの震災関係の番組は可能な限りビデオに録画し、本も買えるだけ買いました。
この日が来る度に、あの屋根で感じた心の動揺を思い出さずにはおれません。
あーっ、日付が変わってしもた!
……。
ワラとラウーフ…。
どうでもいいやっ。
誰も命を落とさないし、家も無くさない。
って今日は思ってます(笑)
ハンナリーズ戦は、また後に。
Posted by tomoyui at 00:09│Comments(4)
│昔話
この記事へのコメント
先生、お誕生日おめでとうございます。
16年前僕はあの震災で友達のお嬢さんが亡くなりました。
親友と兄が被災し、音信が途絶え、居ても経っても居られずに、リュックにありったけの食糧を詰め込み、灯油をありったけ詰め込み、車で亀岡から宝塚の山道を経て、西宮に行きました。
兄も親友も元気だとわかった時、腰がくだけてその場で泣きました。
自然災害は防げませんが、あんな思いはもう二度とゴメンしたいです。
16年前僕はあの震災で友達のお嬢さんが亡くなりました。
親友と兄が被災し、音信が途絶え、居ても経っても居られずに、リュックにありったけの食糧を詰め込み、灯油をありったけ詰め込み、車で亀岡から宝塚の山道を経て、西宮に行きました。
兄も親友も元気だとわかった時、腰がくだけてその場で泣きました。
自然災害は防げませんが、あんな思いはもう二度とゴメンしたいです。
Posted by せん
at 2011年01月18日 01:52

tomoyui先生誕生日おめでとうございます!!
私はその震災時尼崎に住んでたんです…
長男はお腹に…一瞬何が起きたのか理解出来ず…窓から外を見て…テレビを付け…呆然としました
時間が経つにつれ… 火事などの二次災害も起き、阪神高速が傾き、バスがギリギリのトコで止まってたその光景は今でもしっかり残っています。
その時、tomoyui先生もいろんな思いをして、震災と向かい合ってた事に、驚きと今のこの縁に何とも…
そして、ワラさんとラウーフ…確かに命落とさないし…家も失わない
間違いないですね…
私はその震災時尼崎に住んでたんです…
長男はお腹に…一瞬何が起きたのか理解出来ず…窓から外を見て…テレビを付け…呆然としました
時間が経つにつれ… 火事などの二次災害も起き、阪神高速が傾き、バスがギリギリのトコで止まってたその光景は今でもしっかり残っています。
その時、tomoyui先生もいろんな思いをして、震災と向かい合ってた事に、驚きと今のこの縁に何とも…
そして、ワラさんとラウーフ…確かに命落とさないし…家も失わない

間違いないですね…
Posted by YOKO at 2011年01月18日 07:39
>せんさん
ありがとうございます。
被災者でない、僕なんか、愛する人を失った方からみれば、ちっこい感傷にすぎないかもしれません。
でも、それぞれが個々の体験したことを、忘れてはいけないと思います。
天災はいつくるか、判らない。いつ、命を落とすかわかりません。
だからこそ、精一杯生きていかないとね。
ありがとうございます。
被災者でない、僕なんか、愛する人を失った方からみれば、ちっこい感傷にすぎないかもしれません。
でも、それぞれが個々の体験したことを、忘れてはいけないと思います。
天災はいつくるか、判らない。いつ、命を落とすかわかりません。
だからこそ、精一杯生きていかないとね。
Posted by tomoyui at 2011年01月18日 09:10
>YOKOさん
ありがとうございます。
その後も、法事があったり、一人でボランティアに乗り込んだり、鉄道が復旧するまで、繰り返し神戸に入りました。
なんか、今の神戸の姿が嘘みたいです。
YOKOさんも、被災者だったんですね。
恐ろしかったでしょうね。
身重で不安だったでしょうね。
それで、今の逞しさがあるんですね(笑)
ありがとうございます。
その後も、法事があったり、一人でボランティアに乗り込んだり、鉄道が復旧するまで、繰り返し神戸に入りました。
なんか、今の神戸の姿が嘘みたいです。
YOKOさんも、被災者だったんですね。
恐ろしかったでしょうね。
身重で不安だったでしょうね。
それで、今の逞しさがあるんですね(笑)
Posted by tomoyui at 2011年01月18日 09:15